靖難の役(せいなんのえき)

 …「明朝の難事を解消した事件」。

  cf. 燕王の朱棣(しゅてい。即位して永楽帝)が、甥の2代建文帝から政権を奪う際に

  掲げた「国難を靖んずる」というスローガンにもとづく(彼の率いた軍隊は「靖難軍」)。

  「君側の奸(かん)を討ち」の後に続く言葉だが、これは、側近として政治的実権を

  握り、皇帝を思うままに操って悪政を行わせる奸臣を排除するという意味であり、反

  乱軍が皇帝を直接非難したくない時にしばしば使われる論法。失敗した例としては、

  呉楚七国の乱(紀元前154年の前漢前期に、鎮圧されて郡国制が実質郡県制になった)

  が挙げられる。